top of page

教育・いじめ問題

​ 初めて「いじめ」を受けたのは、兵庫県高砂市の高砂幼稚園。引っ越しにより転校生として入園した自分は”よそ者”という扱いから、ほぼ毎日追い駆け回される日々を過ごしたことを、当時は幼稚園児でしたけども覚えています。みんなは遊びのつもりだったと思いますが、自分としては鬼ごっこの鬼が10人で逃げる側は自分1人。追いつかれたら殴り蹴りされるというサバイバルな状況でした。靴を盗まれ、裸足で街中を歩くこともありました。

 母親の指導により「走れば強くなる」と信じて、幼稚園児ながら、ママチャリの後部座席に乗らず、ママチャリの横を走って、自宅まで帰っていました。(この基盤が今の自分に繋がってるかもしれません)

 小学校では3年生の時。良く言えば明るく元気、悪く言えば根暗で引っ込み思案。相反する性格を同時に抱えていたこともあり、いじめに合いました。小学生のいじめは、今から思えば軽いものですが、当時は生死を彷徨うくらい辛くて、しんどい体験でした。例えば、教科書を貸したら落書きされて返却されるとか、自分の香り付き消しゴムがクラスメートの筆箱に入っていたとか、しかも返して欲しい!と言えば「この消しゴム〇〇君のやつやで!」とここでも10対1の構図となり、授業で手を挙げて積極性を魅せると周りは冷めて、音楽の授業で大きな声を出して頑張ってると「音痴の癖に声出すな!」と、ほぼ歌ってない人に言われ、女の子としゃべってると「お前〇〇ちゃん好きなんか!」と四六時中言われる。廊下でズボンを下げられるのは当たり前。トイレに入れば、水をかけられる。野球をしたら打順を飛ばされ、放課後の遊びの約束をする時は基本的に「遊んであげる」と言われる。そんな状態で、テストの点数が上がらず、自宅に帰っても怒られる。自分の居場所は無い。生きてても無駄。意味ないと思ってました。

死んでも誰も悲しむ人は居ない。そんな想いも抱いていたことを覚えています。しかし、今も尚、生きることができている理由。それは神様からのお告げとも呼べる未来の自分からの声が、心の奥深くに届く体験をしました。「未来に行けば、君を必要としている人が現れるから。今はしんどいかもしれないけれど、今は生きろ。今は耐えて、未来に行け。」そんな言葉だったと思います。未来に希望を持つことが、どれほどの救いになったことか。今は一瞬。当時は、とにかく早く未来に行きたい!と願い毎日を過ごしていました。

 中学2年生の時。苦手なクラスメートと仲良くなる秘訣を、再び未来の自分から、ふと聴くことができた体験もありました。「すべての原因は自分自身。相手のせいじゃない。相手の反応に対して、自分が反応している。その反応を面白がってるだけ。だから反応しなかったらええねん。相手の揺さぶりに対して、心を据えてドッシリ受け止めたら良い。」その瞬間から、相手を見る目が変わり、いじめを受けていたと思っていた日々に終止符が打たれ、中学卒業する頃にはみんなと仲良くなることができました。

高校に進学すると「クラスメートは過去の自分を知らない。だから今日から新しい自分で生きるんだ!」と、かつて学級委員に立候補しようもんなら潰されてきましたが、高校では学級委員長に立候補。勉強に身が入らず、落ちこぼれ寸前だった自分が、学科で成績2位/120人中を獲得。一瞬、周りから嫌味を言われ、かつての自分が出てしまいそうになっても、ぐっと我慢して、新しい自分の心で向かい合い、苦手だと思っていた人たちも、実は〇〇な要素というポイントを発見して、趣味を含めた共通言語を見出し、交流するよう意識。工業高校で、電気情報工学科でしたので、ざっくり分けると、ヤンキーか、ヲタクか。好きなのは三次元アイドルか、二次元アイドルか。最初は興味の無かったことでも自分から知ろうとする努力を積み重ねた結果、卒業時には学科を代表して卒業証書を受け取ることができました。

​​

社会人になり。高卒で就職した自分は、大手鉄鋼メーカーの研究所に入社。3年で辞めます。その後、飲食店ホールスタッフを経由してから、障がい者福祉施設で勤務。放課後等デイサービス、高齢者介護、障がいを持った方々の運動支援を経験。同時に吉本興業とも関わりを持ち、東北震災の復興支援や、ランニングを通じて街の方々を明るく元気にするプロジェクトに参入。また同時に、大阪府トライアスロン協会等にも関わり、大会・イベント運営についても学びました。この時期、21歳の自分は神戸アスリートの会(現:神戸えーしー)の第1回練習会を開始。チーム作り・地域社会コミュニティ創造のチャレンジを始めました。23歳で会社員に戻る挑戦をして、火力発電所の設計会社に転職。そして2018年8月からは再度、転職をして現在の勤め先になります。

​ 仕事において、自分のことを怒ってくださる上司と数々出逢わせて頂きました。その都度、自分は、かつての自分で動いてしまい、事態を混乱させ、破壊の現実を生み出してしまっていたと思います。その節は多大なご迷惑をお掛けしました。しかし、当時の自分は内心キレてしまっていて、自己成長させずに、逃げていた気がします。でも、ある日気付くんですね。「苦手だなと感じる人から、いくら環境を変えて逃げたとしても、必ず似たような人が目の前に現れる。」その真実に気付いた時、初めて、事態は自分が引き起こしていたんだ!と知り、自分を変える歩みに取組み始めることができるようになります。何を変えるのか?それは、仏教で言う「受発色」感じ、受け止め、考え、行為。電光石火な無限のサイクルに対して、一瞬でも「ちょっと待って」をして、変換できるかどうか。

0707_02_0664_07.jpg

心の傾向の癖を探るヒントは3つのち「血・地・知」両親や友達から流れ込んでくる血の影響、生まれた土地や関わる業界から流れ込んでくる地の影響、これまで学び深めてきた知識や常識。自分本体とは異なる常識や価値観を吸い込んで、今この時を生きているのが自分自身。その殻を突破する歩みから人生は再スタートしていきます。煩悩も108個もありますから、それら1つ1つを感じ、受け止め、受け入れることから。存在を認めて、許し、愛することから。日々精進。日々、心身共に鍛錬を続けさせて頂く中で、未来への希望を見出し、光の存在を信じて、今この時を懸命に生きていく。今、この瞬間を生きることができれいる喜びを感じ、その喜びが真正の歓びであるならば、みんなにも伝え広がる。本心に嘘を付き、自分をダマし、あざむいた歓びならば、重く沈んでいくでしょう。

本当の願いは何か。生まれた理由は何か。すべての人々が魂に刻んだ願いを持って生まれてくる。みんなに願いがある。その願いの存在を想い、祈り心を育てます。いじめを受けたけども、その事態にも意味があったと思えた時、いじめてきたみんなを許し、慈愛の気持ちを抱くことができます。相手にも問題があったかもしれない。けど、それは相手の問題。相手の心を変えられるのは、その相手本人だけ。変えられるのは自分自身。できることをやる。やり続ける。心身共に鍛錬を続けていく。その歩みが、きっと必要だと思いますし、そしてまた寄り添ってあげる人も必要だと思います。すぐに精神障害だと決め付けて、薬を手渡す前にすべきこと。自分の心の状態がどうで在ったか?自分が抱いた本当の願いは何か?点検すること。

​いじめ問題。たしかに問題です。世の中から、パワハラが無くならないのと等しい理由であると私は思います。大人がパワハラを辞めれば、子供たちの中で蔓延する”いじめ”も、きっと無くなるのではないでしょうか。だからこそ問題解決は、子供たちだけではなく、大人が全身全霊で取り組む必要があり、1人1人の心の状態を深堀りしていくことが解決に向けての第一歩に繋がるのではないかというのが、私の一個人の意見です。

bottom of page