自己紹介
~松井一矢とは~
松井 一矢
MATSUI KAZUYA
陸上競技・マラソン・トライアスロン
・トレイルランニング・野球・卓球
DETA
PROFILE
幼稚園・小学校といじめを受ける。生きてる意味も価値もないと思い苦しむも、ある日突然「未来に行けば君を必要としている人が居る」と神様(または未来の自分からのメッセージ)を聴き、その言葉を信じて生きる選択をする。幼稚園児の頃より「走れば強くなる!」という両親の助言により、ママチャリの荷台に乗らず、横を並走して脚力を鍛える。
中学進学後、部活動選びに悩むと「走る能力を高めたら何のスポーツにも応用が利く!」という両親の助言もあり、陸上競技部に入部。最初は100m走から出場を始め、中学1年生の1500m走デビュー戦5分07秒と好成績。中学2年生からは800m走を専門種目に選び、2分13秒という記録で中学3年生の引退を迎える。
高校進学後、ものづくりがしたい!と想い工業高校を選ぶも、姉と同じ高校に進学したことで「弟、陸上部やねん!」と顧問の先生に先に言われていたことから逃げず、結果的に陸上競技部に入部。中学校では1番2番を争っていたけども、高校では最下位スタート。悔しくて頑張る。大会出場するにも枠が空いてなかった為、当時誰もやってなかった5000m走に出場。高校1年の5000m走デビュー戦17分06秒と好成績。神戸市内の公立高校では速い方になれる(当時)進学を考えた際、元々は大学推薦を貰っていたが、ふと「駅伝大会に出たい!」と決意し、受験が重なっていた大学推薦を捨てて、生涯に1度きり高校3年生の駅伝大会に出場。県大会出場を目指すも、全員であと12秒届かず地区予選落ち。1度も県大会出場することなく卒業を迎える。進路は高卒社会人になる道を選択。
現役引退を決意して走った高校3年生ラストラン「第34回大阪42.195kmフルマラソン大会」を2時間47分31秒で完走し、人生初優勝。初めてトロフィーを貰う。その後で参加したNMB48握手会で推し「矢倉楓子」に認知ヲタになり「マラソンがんばってね!」と言われ、完全に引退を撤回。2012年第2回神戸マラソンにエントリー。すると年代別10代の部で優勝。当時10代では唯一のサブ3ランナーとして完走できたことが自信になり、いろんな練習会に足を運ぶようになる。市民ランナーさんとの御縁が広がり、松井一矢のランニングライフが始まる。
18歳以降、兵庫ランニングサークル(兵庫RC)、アミノバリューランニングクラブ(アミノRC)、Teamパラオに所属をさせて頂き、2015年3月9日(21歳)で、ランニングチーム神戸AC(陸連登録名:神戸えーしー)を創設。
献血は17歳から始め、骨髄バンクは21歳で登録。22歳からは骨髄バンクの黄色タスキを装着して全国各地のマラソン大会に出場をしている”骨髄バンクランナーズ”の一員として、献血・骨髄バンクを伝え広めるボランティア活動を始める。25歳で献血は累計100回を突破し、同年にITU(現WT)主催トライアスロン世界選手権大会 in スペイン/ポンテベドラ大会に日本代表選手として出場。2020年26歳でコロナ禍突入。27歳の時に骨髄バンクよりHLA型適合通知が届き、東京オリンピックイヤーに、骨髄バンクを介してドナー提供。退院後すぐに骨髄バンク説明員の資格を取得。翌年2022年5月から【骨髄バンクユースアンバサダー】に就任。
RESULTS
2006~2012年 中学・高校陸上部に所属も地区予選敗退
2011年3月 17歳(高2)
第33回大阪42.195kmフルマラソン大会でフルデビュー
2012年3月 18歳(高3)
第34回大阪42.195kmフルマラソン大会で初優勝
2012年11月 18歳(社1)
第2回神戸マラソン 年代別19歳以下の部 優勝
2014年6月 20歳(社3)
第29回北海道サロマ湖ウルトラマラソン 年代別24歳以下の部 優勝
2015年8月 21歳
第33回ニューカレドニア国際マラソン 年代別ヤングの部 優勝
2016年5月 22歳
Wings for Life World Run 年代別M20-24 世界5位入賞
2016年11月 22歳
IRONMAN マレーシア・ランカウイ島 鉄人レース初挑戦
2017年7月 23歳
第37回全日本トライアスロン皆生大会 初出場
2019年2月 25歳
献血100回突破・日本赤十字社より金色有功章を受章
2019年5月 25歳
ITU(現WT)主催トライアスロン世界選手権大会
スペイン・ポンテベドラ(ロングディスタンス部門)日本代表
2021年7月 27歳
骨髄バンクを介してドナー提供を経験
2022年5月 28歳
骨髄バンクユースアンバサダーに就任
現在に至る。